盂蘭盆会施餓鬼法要

昨日は盂蘭盆会施餓鬼法要でお寺で過ごしました。

私の父もお爺さんも「先祖供養」という事に関心を持っている姿や素振りすら見た事が無い訳で、父がお寺に行かなかったので私もお寺そのものにも関心が無かったのが現実です。そう言えば幼い頃か”法事”ってものに参加した記憶がないな・・。父は関心は無くとも90まで生きた訳で、先祖供養と長生きは無関係が無い気もしますが。

私の場合2011年、母が亡くなってから気になるのですが。あくまで「私だけ」のようです。父も関心がなく私だけという状況ですから、最近の私の行動は”変な宗教かぶれ扱い”の様です(;^_^A。

どう思われようと自分に安堵感・安らぎといったものが備われば良いではないか。今年は親父が亡くなったのでまた大きな塔婆が立ちました。昨年の母に続いてですからある意味、勝手が分かっている分何をすれば良いのか推測出来るだけでもストレスが無い。

僧侶7人の読響と太鼓が鳴り響き、その鼓動・振動に安らぎを感じていくのが不思議な体験でもあります。

この2年、こうやってお寺に来るまで「お寺で何が行われいるのか?」それさえ知らずに過ごしていた事が恥ずかしく、そして勿体ない気がします。家の血筋を途絶えさす者が先祖供養に興味を示すというのも因果なものであり縁でもあるのでしょう。

でもゴルフから戻るのと同じくらい清々しい気持ちになった一日でした。


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