海外メディアが笑う日本の選挙

いつ登録したかさえ忘れたドア日新聞(メール・ニュース)ですが
普通の新聞には載らない視点(ネットらしさ)で物事を捉える事が好きで読んでおります。

メールに箇条書きされたニュース・タイトルから内容を想像します。
ところが私の場合一般とは違った価値観なのか「読んでみたら視点が違っていた」
と言う事も、たまにあります。そういう時、自分が恥ずかしくなることもあります。

ところが本日の記事「海外メディアが笑う日本の選挙」
これも、その典型で読んだ後自分が恥ずかしくなるか?
と読んでみたら昔から自分が感じてきた通りで。
なぜ、今までそれを言う人が居なかったのか不思議なくらいです。
昔から一杯飲むときのネタで持ち出しても「ああ、するしか無いんじゃない」で終わり。
議論にさえならず、スルーされる事が多かったネタだけに変に嬉しい気持ちにもなりました。

これ「汗水垂らして絶叫する姿は、お仕事か?」
それが滑稽に感じるという意味だと思おります。
例えばスポーツ選手が汗まみれでインタビューを受けるとか。
凱旋パレードなら違和感はありませんが。
シーズン前に街宣カーで「今年は優勝する決意ですから皆さん見に来てください」
と絶叫していたら?変です。
ファンが足を運ぶ運ばないは成績やスター選手の有無等々に因るもので
意思は街宣カーに因らないでしょう。

今や「ネット選挙」が検討されるネット時代です。
街宣カーが行われる様になった経緯を私は知りませんが。
想像では。その昔、浮動票を拾う為に誰が始めて。
誰かやるなら・違法で無いなら。我も我も続けの精神で広まって定着したのか?。

変な例えですが、とある会社が売り上げアップのキャンペーンの為に
「今月に限って社員一丸となって」街宣カーで絶叫している姿と仮定したら?
キャンペーンなら頑張っている姿を見て、買ってくれる人も居るでしょう。
でも投票は、それによって左右される程度のものなのか?

私には選挙も同じように見えます。そして。おそらく関わったメンバーは
終わった後「達成感・一体感」で盛り上がり労うのでしょう。
選挙以外の団体の行動としては微笑ましく感じるのですが。

選挙に限っては”打ち上げ”のその姿を想像すると。
投票した人(選挙活動に関わっていない人)は疎外感を感じるものでは無いかと。

選挙に興味が無い若者が増えていると聞きます。そういう人の感情は分かりませんが
私には、その行為が自己満足・組織の結束が目的にしか見えないのです。
売り上げのキャンペーン程度目的で。「浮動票集めの対策」が街宣カー?

あの街宣カーを心待ちにしている人は稀でしょうし。
街宣カーの声を聞いて投票する人が変わったと言う人が居るのか?
時代は移ろい「負のイメージを強調している姿」になっている街宣カーが今も
使われている様な。そんな滑稽さ、さえ感じます。
街宣カーが”日本の良き伝統を守る”類いの習慣なら残して欲しい人も多いでしょう。
”昔からの風物詩”程度のものならネット選挙の時代、廃止しても良いとも
思おりますが残っているという事は、必要とされる理由もあるのでしょう。

なんか、昔から感じていた事が記事なって、ついキーボードを叩いておりました。


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