介護されると言う事

このところ叔父さんの介護(といいても大した事はしていない)に
時間を取られっぱなしで仕事にも支障が出ておりますが。

これは両親をみたときも同じ事。そいう経験をすると”自分の老後”では無く。
「自分の最後」という事をよく考えます。
普通は自分の最後って映画やドラマのように誰かに看取られながら
話そうに力尽きてガックリ!が思い浮かぶのでしょうが。

また他人の最後を聞いても修羅場は語りませんから余計にそう思おります。
これは実際に「人を送る」という経験をしないと分かりません。
そいう意味では凄い勉強になりますし参考になります。

私が言っているのは「遺産相続」「人間関係」そういった事ではなく
一つの生命が消えていく過程の苦しみですか。
身体的な事と、強いて言えば最後を迎える場所の環境整備などの事です。

「如何に他人に・家族に迷惑を掛けないか」。その前にどうなって
迷惑を掛ける事になるのか?。それを回避する為に自分で何をしておくべきか。
それは何時から動く必要があるか?

考えても人間の終焉は予定通りには行きません。
自身の経験から終焉の3年前から動けたらベストですが
仮に判断が出来ても身体が動かないでしょう。となると
10年前から動いておかないといけません。でも「今がその”10年前”」と
それを判断できるか?。まして自分の事となると。
これは周囲の方が見えて感じるものかも知れません。

家族の有る方には「誰かが何なりと・・・」と考えるのが普通です。
私の場合、そう悠長なことも言ってられず。
人の最後の数年を見守る経験は、貴重なものとなるでしょう。
それは自分の親で無ければ体験させて貰えない訳ですから。