彼岸会施餓鬼法要

昨日は一日を寺で過ごしました「彼岸会施餓鬼法要」の日。
私が行くのは役人を務めさせて頂くためで、参られる檀家さんの為に
会場のセッティングや駐車場の整理が主な役目です。
全国的にお彼岸はご先祖様の供養の日。両親が亡くなるまでは
特に意識する日でも無かったわけですが。
親父がお寺嫌いの人でしたから、かつては縁が無く世界で全くの無知でした。
よって親が亡くなってからが大変で相談者も亡く緊張の連続でしたが、
お寺のことまでを「姫路117グループ」の専務さんには
多大なご鞭撻・ご指導頂き助けて頂いた感じで感謝の限り。

先日、無事に父の三回忌法要も済ませ一段落。
両親亡き後、お寺に関わるにつれ、お寺に参る人の多さに驚くことや。
お寺の行事の事・作法しきたり等々全ての事に今になって勉強している次第です。
勉強といっても、それ自体が目的ではありませんが。

役人を務められる方は他にも十数人は、おいでですが70を超えた方ばかり。
皆さん「ご先祖様合っての自分や家族」というお礼のご奉公という意味では同じでしょう。
私の場合は「心の安らぎ」を求めてがメイン。
母が亡くなってからですから、49歳からお役を務めさせて頂いております。
かなり若い年齢からの参加で、お寺でも浮いた存在であると思おります。

人からどう見えるのか?そういう事に興味が無いタイプですが。
お寺に関わりお経に触れる時間というのは、心が安らぎます。
幼少期、何時も扁桃腺を腫らせていた少年であった私が
今、人生の中で一番の安らぎと、心の安定感を得ている気がします。
こういう事は長続きしないのが人の世というもの。

ただ、お寺に関わりだしてから悪いことが起こらないというか
起こりかけても元凶が勝手に自滅して自然消滅していく様を
目の辺りにすることも多く不思議な力さえ感じるのです。

それは神の力では無くご先祖様の引き上げ様とする力、そう感じるのです。
そう思うと余計にお寺に関わっていたい心境ですが。

若い方に分かりやすく言うと、贔屓のミュージシャンのライブに
ボランティアで参加する事に似ているのかどうか?
またチケットを買って音楽を聴きく為に出向く行為は対価に値する満足がある為。
私にとっては、お布施をして、お経に接する事で得る心の安定感と似ているのかも?
よって、店を閉めてまでも参加する価値は大いにありですか。

いずれにしても普通の人間ではない”変わり者”である事に間違いは無さそうですね。

2011年6月サーバ引越で過去データの引越が出来ず新設です。