官兵衛救出/大河ドラマ

昨日(2014.6.8)の大河ドラマでは官兵衛が土牢から救出されるシーンがありました。

長い幽閉生活で病んだ心と、弱った身体でフラッシュバックに苛まれるシーンがあり。
「心は土牢に置いてきた」「半兵衛はまだ働けと言うか?」というセリフ。
その気持ちは私には自身の体験と重なり良く分かるのです。
「長く自分の足で思うように移動が出来ない」という苦痛。
私も1994年にリタイヤし1996年の復帰。
その病後から、自由に移動が出来るまでに8年という歳月を費やした経験があります。

今や移動どころか週一ゴルフも可能ですが、ここまでには紆余曲折がありました。
あの頃”もうダメだ”と思った時、自分に言い聞かせていた言葉は
「でも、生きるしかないっし!、コツコツでも進むしかないっし!」でしたね・・。
だから今、毎日1時間のウォーキングは苦も無く楽しめるのだと思おります。
歩けない事の辛さというのは普通70歳くらいになって初めて感じる事かと
それを幸か不幸か30代で体験してしまった事になります。

両親の介護が明けた頃。お医者様から”足腰が弱ってます”と言われた時。
「また、あの歩けない生活には戻りたくない」という恐怖心。
正確に言うと歩けない事より、立ち直る迄の苦労の継続が恐怖なのです。
その苦労とは体力的なモノだけでは無く、歩けないということが
「付き合いの悪さ・誠意の無さ・自分勝手」という誤解に繋がるからです。
病んだ時の人相というものは余計に、そういう印象を与える様です。
でも私にとってその経験は今の自分を存在させる為の必修科目であった気がします。

映像だけ見ると、根性で立ち上がった様にも見えます。
ドラマという決められた時間ですから45分で心まで立ち直りましたが(^_^;)。

1995年当時、一緒に入院していた者で廃人のようになってしまった者も居ます。
立ち上がろうとしても家庭環境がそうさせてくれなかった悲しい現実も見てきました。
私などはある意味、両親の介護生活に入って「自分しか居ない」という環境は
もう、自分が立ち上がるしか無く、病み上がりの身体と言ってられ無かった気がします。
今、考えればそれは両親、いえ。ご先祖様のお陰だったと感慨深い。

病気を知らない人、心を病んだ事が無い人は冷酷です。
また自分を大事にはせず。”人付き合い・協調性”などの言葉として
その価値観を回りに求めるどころか、押しつけます。
以前の私には、そう見えたものです。

ところが今、私はまたその中に戻りつつあります。恐怖心すらあります。
頑張って苦労してやっと人並みの普通の生活に戻ったのですが、その分。
ひととは違う世界が見えているのも確かな様で。病後から20年が経ち
最近、良く人から誘われるようになりました。それは
「何の苦労や困難も無かったような、清々しい気持ちのお陰かも知れませんね」
人間、もがき苦しみのたうち回ってやっと掴むことができる事とは?。
それは極めて単純な事であると昔、聞いたことを思い出すこの頃ですか。

2011年6月サーバ引越で過去データの引越が出来ず新設です。