身延山・富士山 参拝

2014年7月「16日・17日」と二日で富士山に行ってきました。
といっても山登りではありません。
お寺から「参拝団」としての参加です。

姫路は「神崎交通」さんのバスで行ってきました。

身延山・富士山・経ヶ岳参拝団です。
お寺は日蓮宗ですから身延山(久遠寺)は総本山になります。
いつかは行ってみたいと思っておりましたので絶好の機会と
二日も店を閉めてまで参加する事に。

姫路を35名(三ヶ寺の檀家)で朝7:40出発。
次に大阪で5名(一ヶ寺の檀家)乗せて新東名高速を東へ。
8時間掛けてやっと到着「身延山」です。写真は山門ですから
ここからまだ20分は上りますが、時間が遅いので当日は
この山門の横道を徒歩で20分ほど上ります。

日蓮聖人のお墓「祖廟拝殿」(そびょうはいでん)に参ります。
ここでお坊様4人の読経を聞いて唱和します。
初日はこれで午後5時になり身延山「久遠寺」には翌日上ることになります。
写っている方々、行衣(ぎょうえ)といった白い衣を羽織っておられます。
私も勿論羽織っておりますが、この行衣に「総本山・久遠寺」の
ハンコをおして貰うのが楽しみ。
(この衣が自分が亡くなったときの死に装束になるのですが。)
そのむかしドライブに出ると、こういう一行を見て”怪しげな宗教団体?”と
思った事がありましたが。まさか今、自分がその中に居るとは。

今回、久遠寺に近い旅館で一泊して翌朝は4時30分出発。
久遠寺の朝のお勤めに間に合わす為です。

山門をくぐって267段の階段を登ります。年輩の方は脇の坂道から本殿に上がり。
歩けない方は旅館の車で、送迎ですか。

平日と言う事もあり、総本山(久遠寺)の拝殿は我々40人で貸し切り状態。
修行僧50人の読経の声が響き渡り、
荘厳な雰囲気の中で過ごした経験は貴重なものとなりました。
このお寺、宗派は問わず誰が参拝しても構わないらしいです。

写真の「登詣之証」を頂いて山を降り、朝の8時出発で一路富士山へ。

「山梨県警」と書いたパトカーも初めて見ますし。
また富士山周辺ではナンバープレートに「富士山」って書いて有る事にも驚き。

さて有名な「富士山・五合目レストラン」到着は17日、午前11時。
ここでは英語・韓国語・中国語・インド語そのた諸々。あらゆる国籍の人が
集まっている事に驚きでした。
ここでも若い外国の女性3人にシャッターを頼まれましたが
何処へ行ってもそうなる事が不思議。(カメラを持ち歩いているから?)

ここで昼食ですが、その前に!「経ヶ岳」に参ります。今回、何故その”経ヶ岳”がルートになったかと言うと地元の新聞に載っていたらしい。
何でも「日蓮聖人が経を収めた地」であるらしく、
お寺のご聖人様も行った事が無いという事で。檀家の方から是非見てみたい!
というリクエストが多くあり、今回のルートに入ったと言う事です。

五合目レストランを出て、写真の奥側から来ます。
写真に写っている人は「富士登山を目指す方々」。
それを左に逸れて一旦、坂を下ります。

経ヶ岳には五合目レストランから歩くしかありません。(馬という手段もありましたが高い)歩けば30分は掛かります。
もちろん登山道ですから舗装もされておらず、溶岩の砂利道状態ですから
私ら毎日、歩いております。しかしアスファルトや芝の上は慣れているが砂利状態の
悪路は大変。(まさか登山靴までは履いていない)
「ふくらはぎがパンパン!」になりましたので。
お年寄りにとっては悪路&急な山道は苦行に近い参拝となったハズ。
よってレストランで休んで居てくださいという案内もありましたが。
全員が参加希望と言う事で歩きました。
それだけ皆さん命ある間に見ておきたかったという事になります。
勿論、私もそうですが。後に、このルートが採用される保証は無く。
いえ、今回の体験からこのルートは抹消されるかもしれません。

誰も知らない場所と思って居たら登山道の道案内にも「経ヶ岳」と
書いてあるくらい有名らしく日蓮宗の人しか行かないか?

お山の中腹の”まさかこんな場所に!”ってところに像が建っておりました。

私、若いので一番乗りで皆さんを待ちますが上がってくる方は
この像を見て自然に手を合わせておられました。

ここで4人のお坊様のお経に合わせて40人全員で読経。


(目の前の谷が見る見る幻想的な景色に変化していくので追わず撮影。)

午後二時に五合目レストランを出て一目散に大阪・姫路へと。
帰宅したのは午後10時30分。この私がクタクタだったので
お年寄り方の疲れは想像を絶するものでしょう。
でも「そうまでしても行きたい人ばかりの集まり」ですから車中は賑やか。
やはりお寺を大事にする方は皆、穏やかな人ばかりで緊張感が無い
心地よい親密性を感じます。それは皆さんが求める所なのかもしれませんね。
「このメンバーでまた行きたい。」そういう思いが残る旅となりました。

2011年6月サーバ引越で過去データの引越が出来ず新設です。