孤高の人(2015.5.19)

先日、「修理品が到着いたしました」というお礼のメールと共に。
「実は妻には反対されましたが、信じて頼んで良かったです」とお褒めの言葉頂き。
そのメールの一文に「孤高の技術屋さんという感じが気に入り・・・・」というお言葉。

技術屋というのは持ち上げすぎで、くすぐったいですが。
「孤高の」って言葉が、何かお気に入りでした。
孤高って「孤独の”孤”」ですから、他人から見れば孤独な人であるが
本人は「至って、居心地良く充実している」って事なのでしょうか?

私のブログは随所にそういう部分が出ていると思おります。
数年前に読者さんから”不要と感じるモノは容赦なく切り捨てる人に見えます”。
と言われた事も有り、的確に人を見ているな・・・と感心した記憶が。
生きる上での基本姿勢は「健康重視」という事ですが。
そのためには、不要なストレスを抱え込むことは避けないと実現できません。

昨日の続きでは無いですが両親の介護中なんて、その両親との関係自体がストレスですから。介護だけで自分のストレスのキャパを占拠されていた感じでした。
そこに友人などは入る余地も無く、バッサバッサ切り捨てていた感覚です。
あの頃は友達より”助けてくれる人”が有り難かった。

ストレスの要因は対人関係。交際範囲は狭ければ狭いほど良い。
今までの人生経験から自然に形成された価値観ですが。
人に囲まれていないと不安な人とは相反します。
それは一人で黙々と仕事をせざるを得ない状況に環境適応能力が働いた?
最近はその度が過ぎて集団に適応出来なくなっているのでは?そう思うくらいで。

今は他人から見たら両親も無く独りぼっちの孤独な状態です。
その孤独状態が、これだけ安定し充実した気分に感じるのは、正に孤高という
言葉がピッタシなのかも知れません。
私の場合、孤高と言うよりは「独りよがりに自分の価値観の中でのみ生きてる」
そんな感じもしますが(^_^;)

タモリさんの「友達は諸悪の根源」って言葉好きですね・・。
自分という人間は、かなり偏った概念では生きており理解者を求める事を諦めました。
それでも、”知人”として多くの人に接して頂いておりますから充分です。