分割協議から得たもの

今回、無事且つスムーズに分割協議を終えることが出来ました。
この体験は良い経験になり、今後にも生きると思おります。

この1〜2年は叔父さんの介護に。
終わればこの件を解決に向かわせるために走り回っており。
そのために放置した商売は惨憺たるもので休業の補償が欲しいくらいです。
しかし法的にはそういう事は認められないようで。
他の相続人の方々、同様に同じ分配率と法律で決まっております。

こういう経験をすると遺言書の重要性を感じる次第で。
今回は遺言書が無かった故に分割協議になった訳です。
でも今になって思えば、叔父さん自身が自分の死後。
「”何がどうなって・・”の各パターンの展開が見えてない」。
その状態で遺言書を書くことが出来たのかは疑問です。
遺言書の書き方では無く「書かせ方」が大事であると感じました。

でも仮に当初の希望通り”残りは全てお前にあげる”。という遺言書を残していれば?
法的に問題は無いとはゆえ、後から紛争の原因になったり妬みを買ったかもしれません。
結果的には、これで良かったのだと思おります。

先日、解体業者・行政書士の先生。そして相続人の方々。
支払い義務がある全ての方々に支払いを済ませました。
僅かに残った残高を見て、この数年。
店を犠牲にしてまで走り回った苦労はなんだったのだ?と脱力感すら感じます。
お金を求める事は筋違いですが。
「何時もお店は不在ですね」と言われ失った店の信用は戻りません。

自分に言い聞かせていたのは「では、惜しいくらいの売上を逃したのか?」
もう売るべき商品も並べておらず、パソコンがあるだけの店ではないか。と。
兎に角、この2年は、私の収入は減る方に流れていると感じる2年でした。

先日、父の末の妹さん(叔母さん)夫婦に挨拶にいきました。
只今、施設に入所中ですがご主人を誘って訪問し、更地になった写真を見せまして。
全てが終わった事を、報告いたしました。
叔母さんに取っては嫁ぐ前に自分が住んでいた土地でもありますから。

そして最後に「私の(叔母さんの)取り分は、彼方にプレゼントします。」
というサプライズがありまして、せめてもの救いとなりました。

叔母さん曰わく:
「わたしの代わりに動いてもらって有難う。
大変だったと思おります、よく乗り切ったね。今までご苦労様でした。」
この言葉が私に取って一番の癒やしであり、ご褒美だった気がします。

そして、これを書いている今。行政書士の先生からお礼メールが来ました。
共に連絡を取り合いながら、11名の分割協議を整えた達成感の共有ですか。
”達成感の共有”、今まで独りで生きて来た私には感じる事が無かった感覚です。

今回の分割協議を完結させた経験は、子供が居ない私にとって。
将来、甥っ子が経験する事と同じになります。
そのためにも、死ぬまでに済ませる事の項目が浮かんできます。
それは経験しないと分からなかった事ばかりで、経験が生きた訳です。

今回の件で、私に取ってもう見送る人は居なくなったという安堵感。
これで普通に仕事が出来る安心感。
両親の介護が始まってから12年という月日が流れておりました。

兎に角、来年はよい正月が迎えられそうですね。

家屋の解体の前ですが、庭の池を撤去して大きな石が出ました。池用の石だけではなく
庭石や灯籠なども、そして池の下や家の下からも多くの石が出ましたが、
その石の処分費が高く付きます。