サイトのメンテナンス中(2)

先日、「サイトのメンテナンス中」の話しを書きましたが。

全体的に仕事が暇になったら何時かは必要な作業と思っておりました。
何事もタイミングときっかけ、つまり縁ですが。

その2004年の自分の文章を修正しながらレイアウトの修正も。
作業の中で、一番多い点は「誤字脱字の修正」。
その前に文法の誤記は非常に多いです。学生時代文法の授業くらい眠かったものはなく。
文法的に何が、どうおかしいのか?。それが分からず。
自分で読んで「こちらの方がマシか?」というレベルで修正しております。

その文法的な間違いが恥ずかしとか、そういう発想はありません。
それが恥ずかしいならネットで文章なんて発信できません。

そんな事よりも恥ずかしいのが「ボク」という表現。
書いていたのは2004年ですから43歳ですか。
まだ30代の気分は抜けていない頃ですから仕方がない。

それが今や55歳、この表現が何故か恥ずかしく感じます。
よって「ボク」表記を「わたし」表記に修正しております。
そして、はやり「検索対策の為に無理に詰め込んだ」
”修理・腕時計”という単語の乱用。

サイト開設の2004年頃「腕時計」で検索するとGoogleでトップ表示する。
それが自慢でしたが、最近はもうどうでもよく。
「腕時計」という単語は意味さえ通じる文章であれば、削除しております。
そして「2004年7月(記述)」という文章をページの初めに追記していきます。
そうしておかないと読まれる方は、今でも通用すると思って読まれていても不思議ではない。
ベルト調整やベルト交換は今でも通用しますが。
電池交換メンテナンス受付としては誤解を招くことにもなっていると。

サイト開設から13年が経過し、環境が何時の間にか変化しておりました。
大きな変化は
※「当時、電池交換を受けるのは難しいと感じた時計が、今や受ける事が危険な時計に移行しております」
※「想像とおりですが、電池交換までして使用する方が減った」
※「電池交換の事を知る世代が少なくなった」
※「難しい意味不明な能書きに同意までして電池交換しないといけないか」
※「ソーラー・ウォッチが手頃な値段で買える時代になった」
※「年収と共に所持する時計のステップアップなどを望める時代は終わった」。
そして大きな影響は
「私が歳をとった」という事。リスクを負う電池交換を日々、受ける事に疲れた。
ご理解を求める方が無理である時代になった。
それは「ネット社会が作りあげた不寛容の世界に魅力は無くなった」
そして、「両親が居なくなった」「経済状況も変わってきた」「自身の話ですが10年先を見据え60代でも自分に出来る事は何か」考える事が必要になってきました。
時代のニーズに応えることを考えていては、頭と体力と精神力が付いていけなくなる。

その昔、親の商売のやり方に時代遅れを感じたものですが。
今の自分が、その親と同じ頭になって来たことを感じます。
(その歳なりに精一杯生きて来た事は、親の背中を見て覚えた事ですが)
そして自分は親のように継ぐ人を作る事が出来なかった。
それは親を越える事は出来なかったという事実です。

今後も、当面は変わりが無く継続していく事は「電池交換メンテナンス」の受付。
今までご愛好頂いた方も多く、受付は基本として継続していく所存であること。

2004年のサイト開設、その頃と変わらないのは「個人として生きる」。
これに変化は無かった様です。ある意味その程度の能力しか無い事も確定し。
その環境で今後をどう生きる?と最近、悩んでもおりましたが。
「ネットでこれだけの方に支えて頂きました」。そう考えれば結論は一つ。
単純に考えれば今まで犠牲にしてきた「店」を復活させ。
「店とネットの両立」これが生きる道のようです。

そう考えるようになったのは、先日の記事。「大事件?」です。
県警の方の一言、店の外観をみても看板も無く。それどころか何屋か?も分からない。
「ところで、この店の正式名称は何ですの?」という言葉でした。
この10年の流れのなかで、川の流れに身を任せていた結果ですね。