人とは違った人生

最近は生活も落ち着き、仕事も余裕が出来てきました。
時計ネタの更新はサイトの方で都度、行っておりますがブログのネタが少なく。

一時は介護体験ブログいたいになっておりましたが、今や両親も無く。
そこで過去のブログから読んでおられる方は私が「何となく病弱、自営業者」という
認識であると思われます。今回はその病弱についての話しですが。

基本、私は子供の頃より健康には自信があったタイプですが
今から振り返ると多少の神経質の性格も欠点であったなと。

幼少の頃から、アトピーの症状があり。長らくステロイド剤を使っておりました。
それが、30才を過ぎた辺りから、使用していたステロイドが効かなくなり、
症状としては「塗布しているのにリバウンド症状が起こった」という感じです。
薬が押さえる力よりもストレスが勝ってしまったというイメージです。

それだけの事ですが、当時なら根性が足りなかったとも言われたものです。
そうなると、当然仕事も出来ない状態に陥りました。
陥って入院となったついでに、脱ステロイドという流れです。
それから立ち直り掛けた数年後(三十代半ば)、状態が悪い皮膚からの感染か
「化膿性脊髄炎」を患う事になりました。
合わせると、30過ぎから役10年を世間から離れる生活に至りました。
世間から離れるといっても入院は3年くらいのものでしたが、
心身共に廃人のような様相になってしまって、あまりにもの形相の変化に
世間に出たとしても誰にも気づかれる事も無く。

今だからこそ言える話しですが、当時30代ではその生活は理解されずらく。
周囲も自然に距離を置くようになります。
しかし自身の中では”まだ三十代、このまま人生が終わらないだろう”という希望はあり。
状況にふさぎ込む事よりも、「この環境下で如何に幸せに過ごせるか」
そういう事を自然に模索し始めます。
人間とは凄いもので、考えると落ち込まず生きる処世術を身につけていきます。
そういった所が今、お寺のご奉仕をさせて頂いてる行動にも繋がる訳ですが。

それが40歳を過ぎたある時期、 自身にすれば快方に向かっているのが嬉しく。
その心境を添えた年賀状を数年出した経験があります。
その年賀状には、達観した人生観が自然に表現され正直な気持ちでしたが。
それが逆に変な宗教に入ったとか等々、多くの誤解を招いた様です。
そういった経験から身についた、一般と違った人生になった者の生き方・距離感。
これが年賀状を出さなくなった要因でもあります。

この化膿性脊髄炎という単語、何故か最近よく聞きます。
検索してみると「40〜50代に多い病気」とあります。という事は私がそいう年代に
なっただけのようで、妙に納得したものです。
知人やお客様との会話の中で「化膿性脊髄炎」「今、大変らしい・・」とか出てくると当然
「実は、私もそうでした」と、告げる訳ですが。よくあるリアクションとしては
「えっ、で・・何故・・生きているの・・・?生還できるんだ・・?」と
言われる事が多い事からも。世間的には”再起不能”というイメージになるのでしょう。
以前では化膿性脊髄炎って単語を告げても理解する人も稀で。
自分では説明できない病気と、隠すわけでも無いですが言う事も無かったのが現実です。

そういった経験からは、普通の人とは違った人生になるのは致し方が無く。
その経験からは一々、説明するのも面倒くさく「ひっそり生きる方が楽」という
発想に繋がり身に染みついてしまった様です。
ある意味、その環境が「ネットでの運営という世界では生きたようです」。
40代で両親の介護生活に入ると、余計に同年代とは違ったライフスタイルになりましたが。
あの頃、私の最低限の責任は最低限の収入を稼ぐ事と、
介護を両立させる。送済のために振り回されました。
今、考えると「それが自分に合った人生」であったのか?、そう受け入れるしかありません。

それが軌跡にも3年前に嫁をもらうことが出来ました、本人には喜ばしい限りですが。
今の元気な私の姿からは想像されるであろう姿は・・・。
遊ぶだけ遊んで選り好みの結果、婚期が遅れ・・・。そう見られる事が自然でしょう。
過去の体験から、「奇跡的に」なんて事を理解して貰おうと思う方に無理がある。
他人と違った生き様は、隠した方が余計な誤解を生じなくて済むと、1年は伏せておりました。

それが最近はネットの影響も有り「脱ステロイド・化膿性脊髄炎・介護・晩婚」なんて
キーワードを理解する人は増えてきましたので、ここに書いてみた次第ですが。

今までの経験から「なにも他人に理解されなくて良いではないか」
いや、理解出来ない事が世間にとって普通であり。
大事なのは「自分が満足できる事」というスタンスに年齢と共に傾きます。
最近では商売にまで浸透してしまった感ありですが。(商売にとっては、最悪ですね)
そして2012年、両親共に亡くなり独りの生活にも慣れた頃には50を越え。
今や57才になって訪れた平穏なくらし。経済的には大変なハズですが
自身にとっても、嫁にとっても、それは二の次三の次。

幸い借金がある訳でも無く、家賃が要る訳でも無くと平和すぎのお花畑ですが。
それは今後の課題と致しましょう!