同級生の訃報

高校の同級生で野球部だった友人が亡くなったと電話が入ったのは
お昼を頂いている時でした。同級ですから57歳。あまりにも早すぎる死。
大手会社に勤めており現役で亡くなっただけに、凄い参列者の数。
会場に入るにも渋滞が発生し、入ってみて”一家族のみ”という事にも驚き。
そして座りきれず立ち見の方も多く。私の両親の時とは比べものにならない人数と。
大きな組織に属する事の凄さ、かれの人望の大きさも実感致しました。

野球部であって身体も大きく愛嬌もあって人気者。(棺の乗せられたグローブが涙を誘う)
私ら親に強制しまくなれながら生きて来ましましので卑屈な性格ですが。
そういう縛りが無いかのような明るさは羨む存在でもありました。
10年くらい前に母親を亡くし前後して離婚。2年前に父親を亡くしました。
3年前だったか電話が鳴って「お〜い 、お前の家の近所まで来てるけど紙オムツは何処に行けば買える?昼から出勤せなあかんから急ぐんや!」と生活の大変さが伝わってくる。

私は親を送って5年も経った頃で大変さが痛いほどわかります。その彼が
父親を送った後しばらくして、新車に買い換えたようで
「お〜い!今から新車自慢しに行くぞ」って電話があったのが昨日のよう。
いきなり新車買ったのでまわりから色々言われる。そう言ってましたが私。
「何で!気を遣うことなんかあるものか。お父さん送って立派に大役果たしたご褒美や。だれに遠慮が有るものか!」と言った時の彼の涙が忘れられない。
誰も助けてくれない介護生活、独り追い詰められた気持ちになるのは経験者にしか分からない。私も親を送ったあと、まるでその思い出を忘れようとリフォームや新車の購入をした事を思い出し、もらい涙したことも先日のよう。

その彼が亡くなった。年齢からは、やはり癌ということでした。
スポーツ万能であって身体にも恵まれていただけに無理も利きます。それが仇になった?
私の様に精神的に脆い性格も無く明るく乗り切れるだけに言い換えれば「無理も出来た」。
そう考えると私は30代を病気で過ごしましたが、癌になるまでの無理が出来る身体と精神力が無かったのだと、そう考えるとあの頃強い人が羨ましかったものですが。
それが無いお陰で今があるのだと合掌する次第。

自分には出来ない事を平気でやってのける彼でしたが、そのパワーを使い切る環境下に置かれた事を不運を嘆くしか無い。葬儀で挨拶に立った三人の子供さん、悲しい顔もせず凜々しい姿をみて、まるで彼を見ているようで目頭が熱くなりました。

同級生の「病死」というのは始めて経験ですが、こういう機会に参加すると自分へ自戒の念が湧きます。そう言えば私のブログは2010年くらいまでは「病人ブログ・健康ブログ」のように愚痴ってばかりだったのが、何時の間にかその性質は消え。
当時は良く健康の大切さを偉そうに書いたものです。

57歳。健康よりも大事な仕事は無い。とは言うものの
健康は無視してもやらなきゃいけない介護があるのも事実。
わたし2年ほど禁酒してリセットした感じですが、昨年の夏頃からよく飲みます。
3年前に私が嫁を貰った事を聞きつけ飛んできました。
何と父が危篤で病院から呼び出されたので近所まで来たからとゆえ。
後日、一杯やるか!の誘いに禁酒中と断ってしまった。
彼の環境は身体を休める事で、オレになんか気遣ってる場合か?と。しかし
こんな事になるなら禁酒中でも付き合ってやるべきだったと後悔の念。
葬儀に参加して遺影を見てこそ、色々後悔と身が引き締まる感じでしたが。
これも彼が死を持って与えてくれた自戒と思い感謝合掌と致します。