七夕

七夕のイベント話しではなく、単なる7月7日の話しです。
忘れもしない「Cooの腕時計開設」が7月7日でした。
2004年の話しですから、もう15年も前になるのだと。

時計店として廃業寸前だっただけに、がむしゃらでした。
これからスーパーのテナントを撤退し、両親の店を継いで
老いた両親の介護生活が始まるという時期でもあり。

今後の生計を立てる目途も無く始まった介護生活でした。
今は思い出話ですが体調を崩しながらも2012年で終わりました。
その後、嫁も貰って今が人生で一番平穏な時期かも知れません。
今はバーンアウト気味で商売に力が入らないというか
クレームに媚び無ければ食えないなら食えない方を選ぶ。

ん?どこかで聞いたな?。そう!親父が良く言ってたな・・・と。
結局は親のようになっていては、同じでは商売を大きく出来ないわけで。

もう時計では食えなくなり軸足は完全に移しております。
3年前にやたら「キズが付いた」「洗浄で姿が変わった」等が増え。
ブランドウォッチではあり得ないクレームですが。
もう阿呆らしくなってしまって脱力感を感じ「同意確認」の
ページを作ってから売上は激減しました。当然の結果であります。
言い換えれば時代が変わったと認識した時期です。
ソコをクリアー出来ない限りお客様の支持を得られないとも悟りました。
つまりは惨敗した気分で、時計からは足を洗うしかないと。

ところがリピータさんで必要として頂ける方に励まされ。
欲して頂ける人だけサービスを提供すれば良い。
そう決めてから楽になった事を思い出します。

話しは変わって久々の更新ですが春から自治会長をしております。
自治会長では一銭の収入も無い訳ですが、何故か最近はそちらの方が楽しく。
忙しくなると時計の発送が遅れたり営業にも、ブログの更新にも支障が
出ておりますが反面、何故か生活が充実しているのも現実。

わたしとしては親を送った経験からは必然的な流れの結果で。
成るようになり、収まるところに収まった感じですが。
親という傘が無くなって親のお陰で生きていた事を感じることになります。
同時に、その親に連れた縁者のお陰で有る事も分かってくる訳ですが。
それを感じる事が出来れば、次に感じるのは
「あの人とは関わりたく無い」とか「あの人には世話にはなっていない」
とかの感情が芽生える矛盾、それも素直な人間の姿でしょう。
そこを突き詰める場ではないので置いておくとして。

仕事に充実感が感じられたら自然、そこに収まる訳ですが。
「では、これからの自分が生きる意義は?」そう考える様になります。
すると今度は親が居なくなった今、必然的に「自分のお陰で自分を生きる」。
この必然性に迫られるわけですが。(感覚的なものですが)
そこで始めて恩返しという出発点に立たたされます。
早く親を亡くした人は親を乗り越えるという目標に向かう人も居ますが。
私には他人のお役に立てて居るという満足感の方が必要であるかと。
それは人それぞれの生き様によりますから、何が良いとは言えません。

私の場合、若いときに病気をした経験が今になって生きています。
それを感じると今は、経済的な生活を捨てることにしました。
一時は死ねど先で生きる事もあるだろうと。
目先の生活費を追うだけの人生も寂し過ぎる。
親のために生きた自分を感じ、更に振り返り。
他人の為に働いても、他人の為に生きてはいけない。
自分の為に生きていけなくて他人のお役になど立てるのか?。
そう考えた時に金儲けよりも、お役に立てる仕事が成せてこそ。
自分を取り巻く環境からはそれが一番、自然な流れであり
自分に正直な姿かもと思っております。
しかしそこに至って実行に移すには、嫁の理解があればこそでしょう。