オークション12話

2003年現在ではまだ普通に商品は入って来ます。よって私の腕時計オークションはまだまだ全盛期。

そして、この頃から時計メーカーも資本力のある所に優先的に商品を流通させて来ます。これはメーカー側からすれば”効率性”を考えれば当然の結果です。

同時に、この頃から腕時計を扱う出品者も多数出て来ました。私並みの写真どころか、私以上のプロ並みの写真で個人参加。そして大きな資本も参加して来ます。(これは時計業界以外の出品者ですが腕時計を出品しています)そういう所にまで商品が流れていました。

2005年には、メーカーもそういったルートへの商品の流通は止めました。それには理由がありますが。

そして今、腕時計を扱う出品者で2003年当時、個人店レベルで出品していた者はオークションから”腕時計の出品者として”消えました。私もそうですが(私は今はベルト出品者で、消えたも同然)残ったのは問屋レベルの流通をさせる所のみです。

またこの頃、普通の個人店レベルの商いから、オークションによって”問屋レベル”の扱い量に成長した所も多々あったはずです。それくらいオークション(ネット)のパワーは凄いモノを感じました。

そして2003〜4年と言う年は時計業界にとっては、過去の負の遺産を整理し”今後に向けての方向転換”が始まります。

そして決定したのは「腕時計メーカーとしてプライド高く、質の良い高額品に力を入れていく」です。そして2003年に上場を廃止したO 社も2004年にはそれに倣ってきます。その頃からセールスの態度が”まるでロレックスの社員かの様に”誇り高く”なったのには笑いましたが。

1970年代までの様な「腕時計の購入には給料以上の金額が必要」そんな時代が本当にまたやって来るのだろうか?

そういった事情から時計メーカーは2005年から異業種のオークション出品には厳しく対応した様です。時計店であればオークションであれ3割引までならOKといった所が今の雰囲気ですか。でも3割引で売れるって事は、それに合う値段で仕入れが出来る店ですから、かなりの大店です。

”誇り高く高額品”と言っても、まだセイコーは「アルバ」も販売しています。O 社も安いブランドは切り離していません。これは株式を公開している限り、目先の売り上げの減退は株主の信用を無くします。本来の”誇り高く”なら定価50.000円以下は切り捨てるべきですが、それは当面は出来ないでしょう。

しかし高額品に重点を絞って生産販売し、売り上げの大半を高額品が占めだした時。つまり廉価ラインの売り上げが重要で無くなった時。国内腕時計メーカーは定価5万円以下のラインをバッサリ切ってくるかもしれません。つまり国内時計メーカーは「オメガ・ロンジン・ロレックス」並に価格帯やブランド価値を上げる事が出来なければ今後生き残れ無いといった方向に舵を切りました。今はその過渡期と言って良いでしょう。

つまり時計店が生き残るには、その価格帯以上を仕入れて売る事が出来なければ国内メーカーに相手にされなくなります。今後、腕時計を売って成り立つ所は毎月、時計のみの販売額が1000万を超える所のみになるでしょう。メーカーの人員も減っています、少額仕入れの店をカバーしきれない事情も出てくるであろうと。

私などは高額路線に付いて行くには無理があろうと諦めて、次の将来に向けてCooの腕時計を立ち上げました。そして今、先の方向性を探っている段階ですか。今は「電池交換・修理の受付」がやっとですが、今後の方向性はまだ見えません。先ずはシッカリしたアクセス数が保てるサイトを作る事が出来なれば何をやってもダメであろうと・・・

腕時計が給料以上の時代になると、またメンテナンスの需要が出て来るでしょう。時計店にとって修理収益がメインになる時代。早ければ10年後にやって来るかもしれません。そこまで残る事が出来る時計店は少ないと思いますが。

普通に考えれば「Cooの腕時計ショップ化」ですが、それはしません。また私の店の名前で普通のネットショップを作る気もありません。とにかくネットはもう普通のマーケットになっています、実店舗も同じなのです。つまり資本力だけの勝負です。それがこの6年の間、ネットに関わって痛切に感じる所であります。もうオークション初期の様に”パソコンが触れる”だけでは有利では無くなりました。

オークション参加の経験から掴んだネットでの”自分の生き方に取って大事なキーワード”
それで作ったのがCooの腕時計ですが。残念ながらそこには私に取って肝心の”収益源がありません”。今はそれで良いと思っています。第一歩が「akiyose.com」ですが。

話が逸れましたが。私がオークションに限界を感じたのは2004年、年明けでした。今、あの頃を振り返るとかなり焦っていました。でも当時まだオークションのみで軽く月商100万以上は売上げている時期です。でも反面、実店舗の売り上げは減少しています。もし、このままオークション部分の売り上げが消えたら・・・・・

そう考えたら、ぞっとしましたね。この頃の私はエスカレーターを逆行してる様なモノです。歩みを止めたら後退します。2003年5月からオークションの「プレミアムオークション」の名前が「オークション・ストアー」に変更。そして5万円の家賃が”18.000円に値下げになります。今のオークション売り上げなら18.000円くらいは負担にもならないといった感覚で2003年末。一般参加からストアーに変更しました。でも今、考えればこの頃、迷いや不安から自分自身を無くていました。冷静に考えれば私のオークションスタイルからは「個人もストアーも同じ」で有ることは分かっていたのに・・

2003年にはメインのO 社の入荷は急激に減ります。かといって別に売る物がありません。これはダメだどうしようも無い。また廃業へ一直線か・・・

2001年5月、O 社によって廃業から延命させて頂きました。そして2003年5月そのO 社によってまた廃業への道を歩み始めます。いや、その発想は被害妄想なのでしょう。メーカーにすれば2003年は既に大資本がオークションに参加して来ましたから個人を相手にしなくても効率の良い大量卸先にシフトしたのみ。それだけの事だったのです。

”儚き夢を見させて頂きました”

この時、まだ銀行への返済が半分残っている以上簡単に廃業は出来ません。そこへ支払い条件の良かったO 社からの入荷が減ります。時計以外のモノは一緒に並べても売れないだろうと。という事は残るは「セイコー・シチズン・シチズンクロック」しかありません。しかし、何処も月末引き落とし契約。

仕入れたモノを一月で売り切らないと、資金繰りが大変になって来る世界です。そんな事はこの業界では、ありえません。オークション全盛期はそれが起こっていた訳で如何に盛況だったかが伺えますね。でもO 社が入荷しないなら仕方がありません。

そしてこの頃から同時にメガネフレームも別IDで出品を始めます。メガネの写真は腕時計とは違って「一からの出直し」ですから、大変でした。

これだけの詳細写真のアングルと定規表示を作るとなるとなると、時間がいくら有っても足りない訳です。もっと簡単な写真で出品でも良いのですが、そこは私の拘りですね。Cooの腕時計開設から、このメガネ出品は中止しました。

これ当然、レンズも入れて欲しいって人も居ます。これをメールで説明する訳ですから超多忙。そこへ写真のストックが無いセイコー腕時計を扱い始めますから撮りなれた腕時計とはゆえ大変でした。

そして仕方がない、腕時計はセイコーさんの商品に切り替えです。ただO 社さんは店に訪問してくれていましたから商品を調達するのも電話1本で済んでました。

ところがセイコーさんは「非訪問店」。電話ではカタログの商品をどうぞ。ではお話になりません。月に一度大阪で仕入れ会がありますから、そこに行けば多少の特価商材があります。しかし、O 社で売ってきた私のオークションでセイコー商品が売れるのか?

そして私に取って重要なのは、仕入れ会となると大阪に行く体力が・・・
まず、大阪駅に電車が滑り込んだ時点で疲れています。月一回ですが大阪駅の改札を出て「兎に角は御堂筋線、梅田駅までは歩かなければ始まらない」です。歩いて5分ですが。そして心斎橋を降りてから10分、歩かないといけません。そして会場に着けば1時間は立ったまま。帰りは大阪駅まで何度タクシーに乗ってしまったか。

セイコーさんから見れば、10年以上、仕入れ会に顔も出さないし、長く仕入れ実績も無い店が突然やって来る訳です。そして病人顔のやつれた男が(;^_^A。会場では知った人も居ません。何人かは知っている人は居ますが、10年以上前の私の顔しか知りませんし、まして、やつれ果てていますから気が付かない。

そんなやつれ男が突然仕入れ会に来て、バっカバカ腕時計を仕入れて帰って行く訳です。(;^_^A
なんっじゃ!?この男?。「まぁ、何でも買ってくれるならそれでいいか・・・」って雰囲気でしたね。

それが月に10万・20万・50万と増えて行く訳ですからセイコーさんも一体何がこの店に起こっているのか・・・?って感じでしょう。この会場にはO 社も協賛で商品を並べている訳でセールスも来ていますから事情は聞いていると思いますが。でも所詮オークション業者、それが当時の業界での扱いです。

そして2004年には、クロックのオークション出品も始めます。それまでクロックをオークションに出品しなかったのは、掛け時計などモノが大きいですから梱包作業でヘトヘトに疲れる事が原因でした。2004年に一度ゴルフに行ってみてカートではありますが18ホール回れて体力に自信がつきました。変な因果関係ですが。(もっともまだ、プレー後のアフターまで楽しめる程では無かったですが)

そして2003年秋。父が悪性では無いですが”癌の診断”を受けます。兎に角はオペで今のところ普通の生活は出来ていますが。でも当時としては焦りは出ます。そして2003年末、父の告知の心労もたたって母親が倒れます。それからずっと入院中ではありますが。長男であって両親と一緒に住む者の私の立場としては、いずれ「このスーパーの店を畳んで父の時計店を継ぐ時期がくるだろうと・・・」

しかし父の店は、修理専門店の様な位置づけ。売り上げの期待は無理。ましてこのままスーパーに居ても店の売り上げは減退の一途ですから、いずれ親父の店とも売り上げでは遜色は無くなるだろうと。両親が生き続ける限り自営業でなければ介護が出来ません。そうなれば必然的にネットになりますね。

しかし・・・ネットのみので”損益分岐点売り上げを確保する”。そんな事が出来るのか?でもいずれ帰る為にはやり遂げるしか道はありません。しかしオークションに翻弄されています2003年末。ストアー参加から、そのオークションにさえ陰りが差していました・・・

次は「オークション13話」

このオークション話は、ある一通のメールから始まった・・

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