東北慰霊団参(2013年3月、26日・27日)

私にとってはあり得ない「2日の連休」しかも平日。
そして電池交換メンテナンスが忙しいにも関わらず、それを押してまで行って来ました。

北アルプスと富士山を眼下に見ながら空の旅。目指すは「仙台空港」です。

午前11時「仙台空港」到着。ここも津波での被害がテレビの映像で流れたのが記憶に新しい。写真の右端に「○」で示してありますのが「空港内でも、ここまで津波が来ました」
という高さの記録。
ガンダムの肩まで来たのですから、凄い!??
この写真、伊達政宗とガンダムが対峙している様で変な図ではありますが。

さて今回の目的は「被災地東北の慰霊団体参霊」。
檀家のお寺から10人くらい参加ということで、私も入れて頂きました。
当初「福島から気仙沼まで巡る予定」でしたが、兵庫県西部のお寺の檀家信徒だけでも
お匠人さんと、お坊様。そして檀家信徒合わせると参加者が100人近くになり。
100人では小回りが効かなくなり。大型旅客機が発着の仙台になりました。
また観光バスでは通行しにくい場所も多かったり。幹事さんは大変だったでしょう。
集合・解散に係る時間のロス、等々。考慮の結果「牡鹿半島周辺のみとなりました」

迎えて頂いたのは「伊達政宗、勢5万!」ではなく仙台バスさん。
2台で東北を駆け巡ってきました。

空港で簡単な昼食を済ませ。まずは「閖上(ゆりあげ)中学校」へ。
写真は出発前に頂いたパンフレット。
左側が閖上中学の校舎で真向かいに住宅が水没しております。

その住宅がこちら。外観は綺麗ですが一階は当時のままで雑然としております。
この住宅の横。写真でいうと、すぐ右の道が。

こちら。(住宅はバスで隠れますが)校門へむかう道でフェンスも津波でなぎ倒されたまま。

閖上中学の校舎。たくさんの児童が亡くなり、また民族大移動もありで公共施設の統廃合がすすむ為に、ほとんどの学校は取り壊しされるとか。この校舎も例外ではないとか。

ここでまず「合同のお参り」。僧侶15人の読経が響き渡ります。
ここでも数十名の尊い命が失われたとか。
ここから出発で、各学校で同じ事をしながら巡礼の旅であります。

閖上中学への立入禁止区域を示すバリケード代わりに並べられた机の光景。

さて次は”荒浜地区”。写真は荒浜小学校ですが。
なんでもこの屋上に逃げた人は助かったそうで。
現在も近隣での工事関係者の方の「緊急避難場所」として取り壊しはしていないそうです。
でも復興が終われば取り壊される事になるのでしょう。

そして、その近くにある「日和山」。山と言っても6メートルくらいですが。
ここの上で多数の方の尊い命が失われたとか。
近くに先程の小学校があるので、そこへ逃げた人は助かったそうですが
なぜ、こんな低い山に逃げたのか?

そう、目の前は河口。小学校まで逃げる時間も無いくらい津波の方が早かったと。

日和山から眺めても、近くにマンションや商業施設もなく日和山が一番、高い避難場所だったという悲劇ですか。
藁にもすがる気持ちというか”丘にもすがる気持ち”という事ですか。

さて次は荒浜海岸(深沼海水浴場)へ。パンフの写真では海水浴場へは
防風林の手前の門を通る事になっておりますが。
門も防風林も流されて、この状態。

その門の辺りに石像の観音様が鎮座されておりました。
(写真は海側から見た図ですが、門も防風林もありません。
地元の石材店のオーナーが1000万円相当を寄贈されたとか。
この石像の前でもお参りで読経が響きました。

この台座のまわりは元は防風林。周辺はなぎ倒された松の根が点在しておりました。

それにしても見事な石像で顔の造形に見とれておりました。

本来あったであろう門から海岸への道を通って海へ向かう僧侶の方々。

観光バスの横に「語り部タクシー」と書かれた車が止まっておりましたが
少人数なら、このタクシーが便利かもしれません。
二日間を通しても個人で被災地に入っても、説明して頂く人がいると居ないでは
大違いと思おります。
自営業の私としては個人で回って、個人の商店で消費する旅もありかとも
思おりますが。今回は団体なので道の駅・ホテルの売店・空港などでの
買い物にとどまりました。

故ダイエー社長、中内さんの言葉「売上が全てを癒す」は名言であると思おります。

これで一日目の慰霊は終了。このあとホテルに戻って勉強会として。
近隣のご住職さんの被災経験をお聞きする機会を頂き涙した次第です。

二日目のお話は明日とさせていただきます。


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