感謝は探しに・・・

DJ あおいさん、昨日の投稿ですが「幸せも感謝がなければただの退屈」

「以下、転載。」


人が不公平を感じるときは自分が劣勢な立場になったとき
優勢な立場でいるときは不公平には鈍感なものです
『幸せ』と同じようなものですね

幸せも感謝がなければただの退屈

退屈は不満しか産み出さないものです
不公平だと感じたときは往々にして感謝が足りないとき
人は感謝を探しにこの世に生まれてきたんだぜ。


最後の「感謝を探しにこの世に・・・」ってフレーズお気に入りです。
なるほど、探しにか・・・。
最近、感謝することが多くなったと感じておりますが、探してまではいない。

浮かんでくる程度のモノ。探す事が出来てこそ幸せって事なのかも知れません。
まだ、そこまでの境地には達しいないと言う事なのでしょう。

昔の自分なら他人からズバリ「感謝する事です!」とか指摘されても
「そうかな・・??」てな、おめでたい人間でしたから。
それがこの歳になってやっと。ちょっと手遅れ感も漂おりますが。
この歳で感じるくらいなら、一生気がつかず他人に不快感を与え続ける人の方が
自分目線という意味では幸せなのかも知れません。
感謝する感情を20代・30代から持ち合わせている人ってどのような環境だったのか?

その感謝することですが。
他人から価値観の押付をされ、嫌な思いをする事があります。
悪意が無い事はわかりますが、されれば不快な気分になります。
しかし少し時間をおいて、ある会話を思い返していると、自分が誰かと話していた時に。
相手に同じような不快なリアクションをされた事がフラッシュバックする時があります。
そんな時「自分だって・・・結果的に同じ事してるのでは?悪意の無い価値観の押付け」と。
いった具合ですか。
(かといって他人から押付られた価値観を受け入れる事は出来ませんが)

でも考えれば「嫌な顔をされたことで気がつく訳で。」
反応してくれた人に感謝する事になるのです。
(次回に続く)