阪神淡路大震災から10年その思い出

1月31日 阪神淡路大震災から10年の表記

先日の「雑文」で震災の事を書きましたが。「震災から10年」というタイトルにしました。
この時「10周年」と書いてみてそれはおかしいか?と「10年」にしたのですが。

その後数日して新聞の「コラム」に同じ様に感じる方のコラムが載っていたので紹介です。

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平素ずっと気になっている言い回しがある。阪神・淡路大震災から過ぎた年を数えるのに
「周年」を用いることだ。

◆きのうから始まった通常国会での代表質問で「震災十周年」の表現があったので、あらためて思いだした。あの忌まわしい大惨事を「周年」で言い表すのは、
はたしてふさわしいことなのだろうか、と。

◆十七日の追悼式典は、兵庫県も神戸市も「十周年」だった。他の追悼行事も「十周年」が目についた。官公庁が主催する行事に比較的多い。
式典名についてどこまで論議したか知らないが、目にするとどうしても気になる。「十年」の表記でなぜいけないのか

◆間違った日本語ではない。”周年”「ある事から数えて過ぎた年数」(広辞苑)
だから慶事、弔辞を問わないだろう。しかし「○周年」といえば、たいがいは「創業○周年記念」などと、めでたいときに使う。これが長い歴史を経て言葉の漂わせる雰囲気である

◆十七日に何人かの被災者と話したが、だれも「十周年」とは言わなかった。みんな「十年」である。作家藤本義一さんは本紙のインタビュトで、式典自体への疑問を持ちながら語っていた。
「外国では自然災害に『何周年』という発想はしないですよ」

◆では戦禍はどうなのか。ことしで被爆六十年になる広島、長崎両市のホームページを見ると
「被爆六十周年」の記述が目立つ。やはり抵抗を覚える表記だが、どれほどまでに「周年派」が多いと、こだわる方がおかしいのかと、コラム子は悩んでしまう。みなさんはどう思うか?

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ん〜、ぼくも震災体験者としては同感ですが。

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