オークション1
2006年1月20日
以前に「時計店が少ない理由」を取り上げてみました。そこで「廃業決定から何故、生き延びたのか」を時間が取れました時にと書きましたのでちょっと。
今回、1月16・17・18・19日とスーパー側の改装になりまして、5年に一度の連休なるものが頂けましたのでその時間を利用して書いてみました。最初、暗い文面が続きますがご勘弁を!
時は2000年、年明けです。廃業決定。それまで年末と言えば晦日に近づくほど店は活気づいてきます。それが、その前年の年末からまったく普段と同じ。年末の雰囲気が大きく変わった感触を皆さん感じたと思おります。
時は少し戻って1994年。
あの阪神淡路大震災の前年夏から、神戸(三ノ宮)に長期入院中でした。
7ヶ月の入院生活を送り店に復帰。震災の影響で復旧に銀行から借り入れを起こしております。それに入院中アルバイトばかりで店を運営していましたから売り上げ激減。何時までも休んではおられません。かといって入院経験のある方なら分かるとは思おりますが7ヶ月も入院生活を送ると先ず、服を着て表に出ることで疲れ切ります。
でも私の状況はそんな事を言っている場合ではありません。結局は、その無理がたたって1996年。今度は腰の治療で再入院、全治6ヶ月と診断。目の前が真っ暗になりましたね。前回の退院から、まだまだ終日疲れが取れない状態でも、なんとか仕事が出来る体力に戻り掛けた時に・・・。全治6ヶ月・・・また体力作りはゼロから始めなければ。そう思うともう死んだ方がマシではと。
1997年からまた復帰しますが、今度は慎重です。もう再入院は許されない状況ですから”無理しないで無理していきます”。結局、とにかく一人で開店から閉店時間まで耐えられるまでになったのが2000年です。それも店の裏側にベットを置いて1時間に10分程度の休養を取りながら。それでも家に帰ったときは喋る気力さえ皆無です。ただ眠るのみ。勿論今と同じで定休日などありません。
そして1998年。私が入ってるスーパーは”食品スーパーとして強化”と発表!と同時に残っていたテナント”文具店・スポーツ店”などが一斉に撤退。何と!残ったのは私の店のみ・・・
この時に、正確な判断は”私の店も撤退”なのですが、当時の体力では廃業してどうする?この体で勤めに行くのは無理だろう。もう一つの選択肢しては親父の時計店を継ぐ。当時、親父は矍鑠としていましたからとても、そんな雰囲気などありません。どころか「家に戻る何て逃げるな!自分の人生だ。自分の力で乗り切ってみろ!」と叱咤される始末。よって当時の私には営業の継続しか選択肢が無かった訳です。
そこへスーパー側が下には電池交換コーナー誘致、目の前では雑貨ウォッチコーナーの設置です。当然売り上げの急減。
潰す気かいな!せめて体力さえあれば・・・でもぶっちゃけ何処の会社でもそうですが会社って所は健常者の世界です。病人に居座られては迷惑なだけでしょう。それに残り1店舗となれば・・・
誤解の無いように記しますが、かといって現在も過去もずっとスーパー側と敵対している訳ではありません。共存している訳です。今でも皆とは飲んだりもしますから。言い換えればその程度の事でスーパー側にクレームつけている様では、とっくの昔に合法的に追い出されております。”時計店の前では雑貨ウォッチが売れる”とか”電池交換コーナー”は売り上げが作れるといった判断は、スーパー全支店から報告されるデータの有効利用に過ぎません。もっとも組合と同じ感覚でテナント数が多い所は今でも強いですが。
”無理して何とか”。融資を受けてでも再生に向けて動けますが。でもそれで無理してまた入院したら、今度は一生を棒に振るだろうと。また入院と同時に返済不可能に陥ります。私などには”再生機構適用”なんてありえません。そこにあるのは”破産”の2文字。(実際には父親が自宅で時計店もしている訳でして数百万で破産はありえませんが)
体力的にもう入院は不可能、今度、入院したら健常者に戻るのに20年くらい費やすのでは。(結果1994年の入院から体を気遣いながら、ゴルフにまで行ける健常者と言えるまでに8年を費やしました)健康優先。無理な融資を受けてまでの営業の継続は断念。スーパー側にも銀行にも廃業を告げました。
「乗り切ってみろ!」たって。採算が取れなくては仕方がありません。
しかし2000年当時、店の後かたづけをする体力も無く。その頃には、もう店の裏側でベットに寝る事は無くなっていましたが。この頃家族は”今だから言えるが、もう健常者に戻ることは不可能”と諦めていたそうです。私自身は最後の入院から3年、順調に元気になって来ておりますから、もう3年も用心すれば完全復帰だ!と感じていた頃です。
そして2000年。その1年前からの売り上げの激減で営業的に続けるのは困難と判断。パソコンをインターネットに繋いで2年。この頃ホームページの作り方の基礎を勉強しました。ブログにも書きましたが基礎だけでは、とても今のCooの腕時計どころか商用サイトなどを作れるレベルではありません。
2000年1月。その年の8月に廃業と決定。この頃から新聞でも老舗企業の倒産が次々と報道され始めます。”時代は変わった・・・・”今までの常識が大きく変化しているのを感じました。その4月の事です。体力的には一日何とか一人でも座っていれば店番が出来る程度。そんな時一人の友人がやって来ます。ブログでも書いた”友人Y"です。
まさしく、ここから私にとって次の人生が始まります!
そしてインターネットのパワーを実感し、その渦に巻き込まれて行くことになろうとは想像すら出来ません。そして、その後有頂天の世界から真っ逆さまに突き落とされる事も・・・