オークション14話

2004年3月、母親の様態も落ち着いて一息ついた所で、オークション売り上げの半減です。

この頃、急激な売り上げの落ち込みに為す術もなく呆然と過ごす毎日。前年2003年末、ストアー参加から2ヶ月は売り上げが上がりましたが、2004年2月から前年割れ。ストアー効果が無い訳です。冷静に考えれば商材が無い、オークションに手間を掛けられない状況で「ストアーになった」それだけで売り上げが上がる事などありえない訳です。

お袋の入院と売り上げの落ち込みで、冷静さを欠いていました。

でも状況は、お袋のオペや親父が動転している状況下、そして借り入れ金が残る状況では「廃業は不可」・・・。新聞にも老舗経営者の談話で「借金がある限り食い込んでも止めるに止められない」との記事に、目が釘付けになりましたね。

私に残された道は一つ!「売り上げのアップ」それのみ。しかし、もう潤沢な資金が無い以上は思いの仕入れは不可能。銀行の返済も半分以上完了していますから、銀行は「追加借り換え」を勧めてきます。状況から「先送り型融資」になること必定でありながら追加融資決定です。

兎に角は2004年4月。そんな状況下でも「母親のオペ成功と退院」これで一つの区切りが付きました。銀行の融資も下りてますし資金的には余裕があります。しかし、オークション売り上げは下降の一途。この勢いで落ち込めば・・・丁度2000年の廃業決定の時と同じ状況ですか。

ここで決断します。もう「オークションは終了!」(と、いっても時計バンドくらいは出品していますが)運転資金を食いつぶす荒利益が少ない商売からの脱皮です。こりゃぁ〜、お金持ち商売の時計業を真似して見栄貼ってる場合じゃ無いぜ!

そこでネットと言えばオークションだけではなく、ホームページがあります。しかし、そこで腕時計を販売してもオークションの延長ですから無意味。兎に角借入金があって余裕のある間に次の手を打たなければ・・・

でも「これをやる」って目標が何もありません。これくらい不安なモノはありませんね。得体のしれない恐怖感と不安感。あの長期入院前の私なら自殺していたかも?って心境でしたね。

何かやらなくては・・・・オークションはダメ。では何を・・・焦りの中では何も良い知恵は浮かびません。兎に角はネットだが・・・オークション以外に何が?

当時サイト作りや運営には素人の私が、ここまで来られたのは、写真の技術では無いですがやはり師匠が居ます。ブログに出てくる友人YでもHでもありません。その師匠は自分の事を書かれる事を極端に嫌いますから、関係までは書けませんが。私よりも一回り若い自営業者です。自営業者と言っても経験はまだ2年。しかし、それまではサイト作りの「プロ」です。また2003年に「Yahoo登録サイト」を成し遂げサイト運営の経験や知識もあります。彼がいうのに普通に腕時計を並べる販売サイトでは失敗するだろうと。

私もオークションの経験が無ければ迷わず「腕時計販売サイト」を作っていたでしょう。でもオークションの経験から、もう2004年当時では「普通の腕時計販売サイトでは億単位の資金が無ければ成り立たない」それも感じました。

彼にサイト運営のコツと展開のさせ方、またネットで稼ぐには何があるのか?丁度、2004年4月、お袋の退院した日は休みでしたから、母親を地元の病院に移して夕方から彼の所に行って相談でした。

オークションはもう終わったと。家族の状況から、いずれは今の店を閉めなければならない事。それは両親の体調次第になってくるので、来月になるかも知れないが、それは今考えられないと。兎に角は実家を継いでも売り上げを当てには出来ないと、でも立場上、勤める訳にも行かない事。その為にはオークション以外のネットで食える状況にしなければ成らない事。猶予は1年〜2年、その間に成し遂げなければならないと。

彼との話から、ネットにはオークションやアフィリエイト、情報売り、Ad Sense、色んな方法がある。しかし、どれをやるにせよ。「シッカリしたアクセス数があるサイト一つ」これを作り上げられない限り、一時のもので終わるだろうという結論に・・・小遣い稼ぎではなく本業にするには最低条件であると。

しかも、販売サイトではアクセスは取れない。商用サイトでは無い「非営利サイト」でアクセスを取れるサイトを作る事が出来なければ、商用サイトの成功も無いだろうと。

先ずは人気サイトを作ってから。商売はその後・・・先ずはYahoo登録か・・・

このYahoo登録は結果5ヶ月で達成、2004年当時。今は時代が変わって今や、やっきになる物でも無くなりました。ネットの進化は早すぎる。

「アクセスを取れるサイト」か・・・・2004年4月。ここで始めて「Cooの腕時計」立ち上げ構想が始まりました。公開は2004年7月”Cooの腕時計”と言う名前が決まったのは公開寸前で、それまでは概ねの内容とテンプレートを貰って、その改造の仕方やサイト作りの技術的な事(パソコンの操作方法)ですか。

そうしながら「腕時計サイト」を見て勉強です。どの様なサイトがあるのか?またどの様な腕時計サイトがアクセスが多いのか?彼も一緒に腕時計サイトを見て貰っていました。「彼が腕時計サイトはこうあるべき」言う姿は、相互リンクの腕時計の老舗サイトの構成です。

私が感じたのは「それではダメだ」ですか。彼は私が時計屋なんだから蘊蓄はプロ並と思っていたようです。だから普通のサイトよりも詳しいモノが出来ると思っていたようです、そう思うのも当然ですが。しかし、意外にこの業界でも腕時計の蘊蓄サイト並みの知識がある者なんていません。しかも同じ路線でサイトを作れば勝ち目なんてあり得ません、蘊蓄が無いのですから(;^_^A。オークションの経験からも「誰もやらない事」「自分にしか出来ない事」それが無ければ継続は出来ないだろうと。その為に遠回りになっても良いからオリジナル性に拘りました。

しかし、この2004年4月当時。ホームページの知識は「数ページのサイトを自分でアップして公開くらいは出来る」その程度です。如何にアクセスを上げるのか?。如何に作るのか?。SEOとは?。これを師匠とメッセンジャーでやり取りする訳です。今でも私のメッセ上にはいつも居ますが。アクセスアップの技術的な事は彼に聞けますが、問題はテーマです。しかもアクセスの上がるです。

つまり「時計店が何故少ない」でも書きました”必要で無くなったモノは淘汰されますが、必要なモノは生まれる”です。そう!「必要なモノ」・・・
これはサイト運営のプロにでも分かりません。そこは店とオークションの経験が生きてきます。

見つけるのは意外に簡単でした。店での接客は毎日「腕時計のコンシューマ」相手です。そこで良くある勘違いや、質問を載せれば・・・そんな事を真剣に数ページ使って解説したサイトは検索しても無い。そしてオークション経験から「腕時計のベルト調整」です。オークションでは良く聞かれる訳でして「サイトで作っておけば、こちらのURLでどうぞ!」で済みます。

オークションの経験からも、これだけ通販という形で腕時計が売買されている訳だから、自分でする「ベルト調整」の需要は必ずあると。つまり「必要とされるモノ」です。

2004年4月売り上げは生みませんが兎に角は「目標」が出来ました。何もすることや目的が無い状況は恐怖感と不安感を生みます。2004年4月、その不安感をかき消す為にサイト作りに没頭していました。あれから早、2年が経ってたのですね・・。

そして2006年2月にサブサイト「腕時計電池交換・時計修理」サイトまで作る様までになりました。

akiyose.comですが、このドメインで既に2001年と2003年に2度公開しては閉鎖しました。オークション11話でも書きましたが「オークションでは食えなくなる」と感じたからです。そして2度とも専門家に作って貰いました。

これも勉強になりましたが、何故専門家に作って貰っても継続が出来ないのか?2度の閉鎖とオークション経験から感じた理由は「魂が入らない」です。

サイトとオークション。2004年までは同じネットでも結果的に成果が出たのはオークションでサイトは継続さえ出来ませんでした。もっともサイト作りも少なくとも300万掛ける気持ちがあれば専門家が何とかしてくれます。しかし、数十万の予算では専門もあまり相手にはしてくれません。あとは”更新費用”で、稼ごうとするばかりで、こちらがしらけて来ます。数十万では本気でアクセスを上げよう何て考えてくれません。

私が感じるサイト運営のコツは「最低300万掛けて、専門家に運営させる」か「一から自分で勉強して自分で作る」このどちらかです。”数十万掛けて作ってもらって後は自分で更新”。これくらい中途半端な運営はありません。私の経験からですが。

そして2004年7月Cooの腕時計公開。と同時に「オークション・ストアー撤退」。

平成6年(1994年)の入院から「完全復帰まで10年というスパンで考えないと完治はない」という医師の指導の元、ましくキッチリ10年で完全復帰しました2004年。これを5年の心構えで行くと再入院となるだろうし、20年でもダメであろうと。

ある意味長い人生の為に「10年を棒に振る覚悟」その心構えが必要という事で予定通りの結果となりました。その無駄に過ごした10年の為に店は散々になりました。健康優先でしたから仕方がありません。その経験から掴んだものは。

健康より大事な仕事はこの世にありえない
健康は健康な時にしか作れない」ですか。
食える、眠れる、出る」これ幸せの基本。
私はこれを「クウネルサンダス」と呼びます。
「食う・寝る・三(大・小・汗)が出る」。どれが欠けても病気ですね、言い換えればこの3つが揃えば満足しなければならないですか。
この意識が無ければ誰しも長期入院という憂き目に会います。

その経験と、その内の6年。オークション参加という経験も集約して出来たのが「Cooの腕時計」です。この10年で、体力は完全復帰させました。それが最重要課題だった訳です。そのためには座って出来る仕事と言う事でネット中心になり店を犠牲にして来ました。今度は逆です、健康を取り戻した今、今度は多少の犠牲を体に強いても自分の店に恩返しをしければなりません。

それは「店が継続してこそのCooの腕時計(私)が生きる訳です」。良くあるネット業者の様に「事務所だけ構えて通販」。これをやったらCooの腕時計は面白く無くなるでしょう。

2004年7月Cooの腕時計開設から2ヶ月後の9月。この時までは店の奥で座って仕事をしていました。もう体力は充分と、店のレイアウトを変えカウンターを店先まで迫り出します。そしてパソコンを机から腕時計カウンターの上に移動。店先に近い所で立って店番です。最初の3ヶ月は足が棒になりましたが、あれからもう1年以上すっかり10時間の立ちっぱなしも普通になりました。

これだけの事で、店の売り上げは軽く3割は上がる訳です。そして健康があればこそ出来る笑顔の接客。当面はネットの力を借りて今から10年計画で店の建て直しです。先ずは、無借金経営に戻る事が先決ですか。その前に「今の店を閉めて、父の店を継ぐ」この時期が何時のなるのか、それが今の最大の課題ですね。

このオークション話の途中から、”私の立場がオークションによって業界内でどう変化していくのか”これが書けたらもっと読み応えのある面白い連載になっていたと思っていました。
しかし、ホームページの師匠が”それはいけない”と。

「何故なんだぁ〜?」

「兄貴ね、あんたは俺から見ると世間一般とは感覚が違うのよ。その調子でね業界の事なんか書いたら浮くよ。浮くどころか誹謗中傷と取られるよ」と。

「誹謗中傷?そんな積もりは無いが・・・」

「積もりは無くてもね。それが一般的な日本人の感覚なの」

「って事は何かい、俺は一般的な日本人では無いと言いたい?」

「かなりね(v_v)」

確かに、言われれば「周りに気遣いながら、出過ぎず周りと歩調を合わせて生きる」、それを一般的とするならば、私はかなり異常なのかも知れない?。でも・・・でも!

そんな人間がCooの腕時計を作ってたら面白いかぁ?
”変な奴”が作るからこそ!と、私は言いたい(v_v)

そして私が一番作りたいサイトは「長期療養型を如何に克服するか」。現実は立ち直れない方が殆どの状況です。そこを自分の経験も盛り込んで。そんなサイトを作る事が”夢”であります。それは店のみで生活が出来る様になる頃ですか。

さぁ、14話まで来ました「オークション話」ですが、これで終了です。「4話、以降」からはアップの前日に1時間程で書き上げて来ました。自分でも、こういった連載形式の物が書けた事に驚く次第です。良い勉強と経験をさせて頂きました。
また何時の日か、今度は「Cooの腕時計・話」が書ければな・・と思います。

それが書ける時とは、先ず「akiyose.com」に未来が見えた時でしょうか。

一時は廃業も考え勤める事も考えた私ですが、今はどんな形であれ自営業者で生きる事に拘ってみようと思います。
何故なら私からこの自由さを奪えばCooの腕時計が成り立ちませんものね!d(^_^)

でわ!今後ともCooの腕時計を宜しくお願いいたします。m(..)m

このオークション話は、ある一通のメールから始まった・・

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