オークション6話

数日後、またセールスがやって来ます。

「まいどぉ〜!先日はどうも。」

「よっ!待ってました。で、でで!有った?」

「一応は有ったのですが・・・○○さんに卸す訳にはいかない商品なのですよ」

何でもメーカー内には「通常一般店」「量販店」「百貨店」「××ルート」と分かれていて、一般店にはそれ用の商品しか卸せないらしい。って事はそれを無理に回して貰うには量販並の”月に数千万の仕入れ”をしなくていけないのか?それはとても無理・・・

「ダメか・・・何とかならない?」

「一千万買って貰えます?」

「馬鹿か、お前!買える訳ねぇ〜〜だろ!」

「実はそこなんですがね。上司と相談した結果ですね。関西ではオークション実績のある店が無いのですが、全国で見たらオークションでの実績を示してる店が数店あるらしいのですよ。

大阪営業所では一軒も無いので、ぼくらも知らなかったのですが・・・。○○さんが言うので、東京本社に問い合わせたら全国レベルでは実績を作っている所があると言う事です」

大阪営業所といっても今はどのメーカーも支店の縮小をしていますから、山口〜大阪まで九州を省いた西日本全体をカバーしています。その中の時計屋で一軒も無いのか?。

「だろうな・・・そうか関西では無しか。なら俺がやるぞ!」

「って言われましても・・・実績が無いですから」

「当たり前だろ。その実績をこれから作るんだから!何もしていないのに実績があったら怖いわ」

「そこでですね。メーカーとしましては国内のプロパー(カタログ掲載品)が、怪しいところに流れては困るのですよ」

「それは確かにそうだが・・・そんなの安くも出来ないだろう?」

「もちろんです。そこでですね。”海外モデル”ってご存じです?」

「知らない。何?」

「中東とかでもね、ウチの製品は製造されている訳ですが。国内では売ってはいけない商品なんですけど。それを何とか回してもらって、それならOKと本社からの指令なのですよ」

「どんな商品、それは?」

「どんなと聞かれましてもカタログも何も無い商品ですし。ましてボクだって見たことが無いのですから。商品が大阪に到着したら一度10本ほど送ってみますから、見て貰えます?」

今の時代だったら、こんな展開にはなりません。

これには2000年当時の時計業界の都合があります。

2006年の今でこそ、各時計メーカーは2004年からの生き残りを賭けた方向転換に歩調を合わせて、各社”黒字化”に成功しています。よって焦りがありません。

ところが2000年当時です。この頃は腕時計メーカー各社はどこも赤字決算です。リストラも進んでいますが追いつきません。そしてこの頃、各社が支店を次々に閉鎖していきます。

かつて西日本の支店は「鹿児島・福岡・広島・岡山・神戸・大阪」だった訳です。それが20002年には「福岡・広島・大阪」のみになりました。そしてオリエントは「大阪」のみです。

ご存じの方も多いですが1999年。セイコーは当時エプソンの傘下になりエプソンの支援を受けて再生に向かってる時です。ましてオリエントも同じエプソン傘下になりました。オリエントはその後の2003年に上場廃止にまで追い込まれますが。その状況下では兎に角は「売り上げと利益」の為には、なりふり構わずです数値目標達成の頃です。
手段も選ばないくらいの雰囲気でしたね。

セイコーはまだエプソンから”SEIKOブランドは残す価値がある”と言われていました。(といっても黒字化出来たらですが)当時はSEIKOはエプソンの一部所になるのでは?と囁かれました。ことオリエントに至ってはエプソンからは”いつまで売れない時計を作り続ける積もりか?”とまで言われた頃です。黒字化の前に目標の「売上高・利益」単純に数値目標の達成は存続を賭けた至上命令だった訳です。

ところが、この頃から私も廃業を決意したほど、小売業は急激な売り上げの転落をしています。メーカー側もセールスが時計店を回っても売り上げは上がりません。当時の雰囲気では時計屋がダメなら異業種でも何でも買ってくれるなら何処でも卸すぞ!って感じでした。

そんな環境下ですから私がオークション参加を伝えた事はラッキーだった訳です。メーカー内部では”オークション実績のある店がある”でも、当時、扱いは”怪しげなオークション”です。あまりまともに扱えないマーケットだった訳で、メーカーから小売店に勧める性質のものでは無かった時代です。

また勧めても「時計店・パソコンが使いこなせる・やる気」この3つが揃う店でなければ勧められても参加する事自体が無理であったと思います。一つでも欠けたらダメでした。

その状況下で、もし。全国レベルでネットの実績がある店が出てきていなければ、私の様な店では量販用の商品が回る事は無かったでしょう。当時の業界の雰囲気”何処でも卸すぞ!”って環境と私のオークション参加はGOODタイミングだった様です。業界のこの環境と関東の大店のオークション実績。2つが揃っていなければ私の様な一個人店に量販店商材が回る事は無かったでしょう。

勿論、今はメーカー各社先の経営の目処が立ったので、そういう商材は流通を止めていますね。その流れに沿って私は放出されましたが。

この時、関東では既にオークションの実績がある。(メーカーから見て納入金額が急激に上がっている)店が出始めていたのもラッキーでした。それも大店です。Yahooがオークションを開設してから、まだ1年が経過しない頃です。

その頃に、既にオークションで実績を示している時計店が数店あったとは・・・
半年出遅れたか!と思いました。

しかし・・・2000年当時、関西。いや西日本では私だけだったのか・・・

さぁ、2000年5月。ここから伝説のakiyoseオークションが始まります。
Cooの腕時計開設までまだ4年。

オークション7話へと

このオークション話は、ある一通のメールから始まった・・

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