オークション13話

2003年末、オークションでも「ストアー」に変更しました。

月額のストアー参加費(家賃)がそれまで「50.000円」で、あったものが18.000円に値下がりしたのもキッカケですが。ストアーでも「売り上げの3%徴収」は一般と同じです。メリットは「1出品につき10円の出品費用が不要」「太文字表記も無料(一般では有料)」「ストアーマークが付く」ですか。

そのかわり訪販法の表記はもちろん必要になります。ストアーに変更してみて感じたのは想像通り落札者の見る目が厳しくなります。信用は付きますがクレームこそ無かったもの商品状態や接客態度(メールのやり取り)など、厳しくなります。

私生活では2003年夏、この頃から、月一の休みですが「ゴルフ復活」です。この年末に母が倒れる訳ですが、何となく疲れが出ている様で。私に休みが無ければ母親も休みが無い訳で、休みも与える口実で週に3日は”ゴルフの練習”という事で帰りが遅くなるので”先に寝て下さい。と、なります。まだゴルフに行っても帰ればクタクタの体力ですが、とにかく月に一度ですが”18ホール回る事が出来る”という事実に体力的にも自信が付いて来た頃ですか。

そして2003年末、ストアー登録すれば出品方法も変わります。また、出品商品の解説書きも全出品書き直しです。ストアーのみが使える簡単出品ツールがありますが「1円スタート」をしない私のオークションでは、かえって使い勝手が悪い物になります。また顧客管理ツールも無料で使えますが、以前こちらで紹介の私の「データベース」の方が、全然使い勝手が良いわけです。

2003年12月。本来ならどこの時計店でも年末商戦まっただ中。私はというと、まだ店の一番奥にパソコンを置いて座ってパソコンとにらめっこ状態。お客様から見れば店は放置状態でキーボードを叩いてる様に見えますね(;^_^A。

こちとらストアー出品への切り替えで一旦「300の出品を取り下げ」。そして解説の書き直しと「再出品」に追われています。

1週間掛かって大慌ての作業が終わった頃の12月24日、母親が倒れます。もう1週間早く倒れていたらストアー切り替え中で、私はパニックになるところでした。倒れたと言っても急にでは無く、この数日前から完全に寝たきり状態。父に早く病院に連れて行くように言ってましたが、かつて闘病経験が無い人。お袋の状況分析が出来ないで訳で、寝ていれば自然に治癒すると思っていたようです。

こちとら長い闘病経験がありますから、「足のむくみ具合や日々の熱」で入院が必要かどうかの判断は出来ます。寝たきりになって数日後、2003年クリスマスイブ、状況からは。父に言います。「もう危険だから明日必ず入院させる様に」と。そして翌日家に帰って父と一杯飲んでいますとドアの向こうからお袋の”うめき声”が・・・・。
まだ居るのかぁ〜!(☆。☆)

慌てて「119番」です。あの時の父が私の取ってる行動を不思議そうに見ていた態度は、こちらから見て不思議でした。私は酔っぱらってますが救急車に同乗して病院へ。案の定様態は「1週間が山」と。2004年正月は当然病院参り。病状は「22年前に行った心臓の僧房弁置換手術時の人工弁の寿命」。良くお袋には「そろそろ20年じゃないの?」と聞いてましたが「大丈夫、大丈夫」と言っていたので鵜呑みにしていましたが、やはり大手術が怖いので隠していた様です。

心臓にメスを入れ切開する大手術になります。救急車で運ばれた小さな病院ではもちろんオペは出来ません。近くにも有名な循環器センターがありますが様態が平常時なら人工弁置換手術は出来ますが、様態が悪化した今では危険過ぎて出来ないと・・・病院から言い渡されます。

死を待つのみ・・・・

そこで22年前に母がオペをした”倉敷の川崎大学付属病院”へ、カルテとレントゲン写真を持って相談に行きます。

「危険なオペになりますが、放置すれば3ヶ月は持ちません。危険は承知でもオペをやるしかありません!一刻も早く連れてきなさい」と・・・涙ちょちょ切れ!

後日、救急車で倉敷へ!移動中に最悪の事態もありえるので私も同乗してくださいと。サイレン鳴らしっぱなしで高速道を兵庫県から岡山、倉敷へひた走ります。自家用車なら1時間強掛かる所が救急車ですから信号で止まりません。何と50分で到着!病院の姿が車窓から見えた時に「助かった・・・」と母親のうめき声が聞こえました。
母にすれば20年間、毎月一度の通い慣れた病院の姿を見たときは安心したと思います。

ストアー参加したばかりで、落札も増えています。救急車の中でも携帯にメールが転送されてきます。でもオークションは継続していました。あの2001年の”薄氷を踏む”営業では無いものの「オークションと店の”売り上げ合計”」が分岐点売り上げに満たない以上は、決して楽な営業ではありません。何日も売り上げが止まれば自分の生活が成り立ちません。さすがにメガネのオークション出品は取りやめざるを得ませんでしたが。

2004年正月、病院が動き出すのを待ってオペ。無事に成功!ただ3ヶ月は何が起こっても仕方がない様態が続きます。親父はもうオロオロするばかり、母親の入院の影響で家事もせねばならず急に弱っています。結局、倉敷まで母親の洗濯や状況の確認の為には私が行くしかありません。

毎週、2回。パートさんが来て下さる日に倉敷まで高速を飛ばします。でも午後1時にはパートさんを帰して上げないといけませんから、車で倉敷へ行って午後1時には明石に戻る訳です。超ハード、ましてまだ体力が・・・・。ゴルフの時は体力を消耗させない様に友人に運転して貰っていたので1時間以上の高速道路の運転はリタイアから計算すると9年振りか。1・2月は堪えましたが、でもある意味この週2回の倉敷までのドライブで急に元気が出て来ます。4月には往復4時間の運転にも体力をまったく意識しなくなりました。慣れて来たと言うか適度な体への負荷が体力作りなったようでした。

今、思い起こせば22年目のオペ。お袋は人工弁は20年の寿命と言う事で2年前にオペも考えた様ですが、やつれ果てた当時の私の姿をみて、とても入院する気分に成れなかったのかも知れません。確かに、2年前のあの時入院されていたら・・・とても倉敷と明石の往復なんて出来なかったでしょう。巡り合わせってものですか。

そして2004年4月。様態も安定して無事に退院、しかし、もう自宅での療養は危険が伴うと言う事で退院はしても家の近くの病院へ転院となります。お袋は幼少の頃に母親を亡くしているので母親替わりだった母の姉にも同乗して貰って倉敷へ。春の快晴な陽気の中「山陽自動車道」の岡山県と兵庫県境で走行する車窓から見える満開のサクラが退院を祝ってくれてるかの様で印象的でした。

ストアー参加して直後、母親に振り回されたのとO 社の商品ストップ。分岐点売り上げに達していない以上は別の売れる物を早く探さないと、借り入れた資金が食い込んでいきます。兎に角はセイコー商品への切り替えとクロックの出品。そしてメガネの再出品。

しかし、オークションに手間を掛けられ無かった事とメイン商品のストップで、お袋退院の3月からオークション売り上げ半減。2003年末までの「売り上げ構成比」は「店が”3”に対してオークションが”7”」です。それでも分岐点売り上げに達していないのに大半を占める売り上げのオークションが半減・・・・売れる次の商材は無し・・・銀行の返済も半分残る・・・

ついに・・・・The ENDか・・・

この2004年の7月、母親の退院から3ヶ月。オークションストアー半年で撤退。

と同時に、いよいよ「Cooの腕時計」が誕生します。

オークション14話

このオークション話は、ある一通のメールから始まった・・

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